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by seikou_2
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sight of cat 

こんばんは、黒麻呂です。
なんとなく、書いてみました。

ちょっと気持ちを安定させるのに必死です。











私は美しい白の毛並みを持っている。
私は闇をも見透かす青い眼を持っている。
私は純粋な好奇心を持っている。

四本足で悠々と歩き、真っ直ぐな尻尾を雄雄しく立て、高みより下を見下ろす。
そんな私だ。申し遅れたが私の名前は「白霊 青光」と言う。
読み方は「しらたま せいこう」と読むらしい。名づけ親の感性というものがどのような次元で存在するかは皆目検討がつかないが、私がどれだけ拒否しようとその名で呼ばれることは避けることができなかった。生まれて間もなくからこの名で呼ばれているのだから。

私には呼ばれ方がいくつかある。
「青光」「セイコーちゃん」「せいこうくん」「ねこ」
大体こんな感じだ。最後の一つは不可解なのは今に始まったことではないが、そう呼ばれるのだから仕方が無い。自分のことを指しているであろう名前を呼ばれたら振り向くに決まってる。
呼び方によって誰が呼んでいるかも分かる。
「青光」は名づけ親。「セイコーちゃん」は拾い主。「せいこうくん」は父親。「ねこ」は母の飼い主だ。みんな人間だ。

それはそれとして、今日は或る日の出来事を思い返してみよう。
私はこの「家」と呼ばれる空間から出ることはできない。
だから一日は拾い主と、母親を命じられている犬であるベルにちょっかいを出したり出されたり、惰眠をむさぼったり、そして物思いに耽ることで過ごす。
だから今日も物思いに耽ることにした。
何故かと言われるのはこれからの回想を参考にするといい。

それでは、今日もうつらうつらとしながら思い出そう。



私はいつも一緒にいた母がいた。
母と言っても血がつながっているわけでもなければ、種類も違う。
私は猫で、母は犬だと、拾い主に教わった。
母は高齢で、私が来たころには既に老いていた。
よくちょっかいを出されては、出し返していた。それが心底楽しかった。
だって、私は外に出ることすらできないのだから。それは貴重な楽しみだった。
こんな毎日でも続けばいいと、思っていた。

ところが、私が年齢を重ねるにつれ母は衰えていった。
見る見る間に歩くことすらままならなくなり、寝たままの日が続いた。
さらに月日は流れ、ついに母は息も絶え絶えになり、家族の三人が代わる代わる見に来る。
反応を示すまで声をかけて、母の周りに集まっていた。
私はそのいつもと違う、そして味わったことの無い言いようもない空気に居所をなくし、ただただ徘徊することしかできなかった。
母が唸る度にみんな寄ってきて、世話を焼いていた。

そうして何度も何度も、集まっては散り、集まっては散りを繰り返していて。
幾度目かと思ったとき、ついに拾い主が嗚咽を漏らした。
私は母に擦り寄った。いつもは擦り寄ると嫌そうな顔をする。
だけど、母はもう動かなかった。お仕置きの噛む振りもなかった。
私は後に、拾い主から「死」というものを学ぶわけだが、そのときには何故母が動かなくなったのかが分からなかった。
私はどうしていいか分からなくなって、どうにか母を呼び覚まそうとした。
再度、擦り寄ってみる。動かない。
匂いをかいで見る。動かない。
ニャーと鳴いてみる。動かない。
どうやったって母はもう動かなかった。
母の飼い主は無言のまま、何もしゃべらず。
拾い主は嗚咽を漏らし続け。
父親は目に涙をためながらも母の体を入れる箱を作っていた。
私はと言えば、何もできずに再び徘徊するしかなかった。

母を即席の棺おけにいれると、私からは全く姿を確認できなくなった。
箱の高さからすれば、飛び越えられる高さではあったが、私の体と心はそれを越えることを拒み、禁じた。力が入らず、ただ周りを歩き、箱の匂いを嗅ぐことしかできなかった。
程なくして、名づけ親が帰ってきた。
帰ってきて、走るわけでも、ゆっくり歩くでもなく、いつもの足取りで―無理をして歩いているように見えた。だが、母の箱を覗き込んで、動かない母に手を伸ばすと、そのまま顔を伏せてしまった。

しばらくしてから母はどこかへ連れて行かれた。
拾い主は「ちょっとおでかけ」と言っていたが、真意はわからなかった。
母が小さく小さくなって帰ってきたのはそれから数時間後のことだった。


これが、私の一番望まなかった日が来たときの記憶だ。


さて、私がこんなことを思い出しているのは、家の留守番をしているときの遊び相手がいないからだ。いつもなら母に遊び相手をしてもらうところだが、その肝心の母がいない。
私の呼び声に応えてくれる母がいない。
私は一人ぼっちになってしまったような感覚を受けた。
そこまで考えて、ふと思った。
母も1人かもしれない。そうだとしたら、自分と同じように思っているかもしれない。
そして、私のできることは、母を思い出して、母を1人にしないことだと考えた。


母を思い出す。
私が寂しくないように。母が寂しがらないように。
母は姿はなくとも共にある。居ないけれど、在るのだ。
私は、1人だが独りではない。
だから、私は今日も物思いに耽るのだ。
by seikou_2 | 2007-08-08 06:24 | 書物